アラサーになって「何者にもなれない」という呪いが解けた

昔からずっと「私は何者にもなれない」と思い続けていた。

幼少期を欧米で暮らし、親も周囲もなんでも褒めてくれる環境で育った。
就学前に文字を読めば天才と呼ばれ、絵を描けば画家になれると言われ、笑えば「こんなに可愛い子は見たことがない」と言われ、仏頂面でいても「この子は哲学者だね」と言ってもらえた。(どんな子どもにもそうやって接する文化なのだ。)
当時の私がその褒め殺しの環境をどう捉えていたかはわからないが、帰国して国立大附属の小学校に入学した時のショックは覚えている。
イギリスの学校では筆算ができるだけで神童のように扱われていたのに、日本の同級生には数学オリンピックで入賞するような子がいて、それなのに体育の成績が悪いと親に怒られて体操教室に通わされていた。自分は絵が得意だと思っていたけど、教室に並べて貼られた作品の中で自分の絵はお世辞にも上手い方には見えなかった。
とにかく勉強も運動も芸術も、私なんかよりずっとできる子がたくさんいることをすぐに思い知った。それなのにその子たちは全然、自分のことをすごいなんて思っていないように見えた。ピアノのコンクールの常連の子ですら「プロになれるわけじゃないし、受験の準備が始まったらやめる」と言っていた。そうか、「ピアニストになりたい」なんて夢を語るにも資格がいるんだなあ、と思った。

私はごくごく平凡な人間である、と早めに身の程を知れたことは幸いだったと思っている。「何者かになる」という目標は芽生える前に消えたけど、「夢がない」ことに失望したこともなかった。
母親は趣味人で、資格を生かした仕事をしており、くりかえし「人生のために仕事をするのであって、仕事は人生ではないんよ」と言っていた。子ども心にそれは真理だと思った。幼い頃に生涯の趣味となるミュージカルに出会い、早い段階から「一生好きな舞台を観続けられたら他のことはどうでもいい」と思っていたし、小学校の卒業文集では将来の夢を「好きな時に観劇と旅行ができるように稼ぐ」と書いた。我ながら現実的で実現可能性もそこそこある良い夢だと思う。
人生に絶対的な楽しみや目的があれば大抵の労働はそこまで苦ではないと思っていた。そして自分の生き甲斐を誰かの収入に頼るのは怖かったので、仕事は一生したかった。できれば食いっぱぐれない、安定した企業で。仕事内容は二の次だった。

大学を卒業して、一生潰れそうにない(と当時は思っていた)堅実な企業に就職した。幸いにも自分も興味がある業界で、仕事は楽しくやりがいもあったけど、長年の友人たちが志を持って大学院に進んだり士業や官僚の試験を受けたりしている中で、やはり自分が仕事に大きな目標を持ち社会で大きな功績をあげて「何者かになっている」という未来は描けなかった。給料分は真面目に働き、実家暮らしでがっつり貯金しつつ休日はせっせと全国各地の劇場に通い、年に何度か海外旅行をする。安定を守り程よく趣味も楽しみ、これ以上なく充実していると思っていた。

転機は突然訪れた。系列会社への出向を言い渡され、急な転勤に伴って一人暮らしも始めなければならなくなったのだ。
しかも出向先は24時間シフト勤務。翌月のシフトが出るのは1週間前、休みの希望は3日しか出せない。連休も取れない。つまり半年先のチケットは多くても月に3回分しか買うことができず、遠征なんて夢のまた夢。休みも合わず、繁華街まで電車で1時間以上かかる土地に引っ越してしまったため友達にも気軽に会えなくなった。自分でもびっくりするくらい病んだ。目的のためには割り切れる、わりとタフな性格だと自負していたのに、毎晩「観たい舞台のチケットも買えない、友達にも会えない。なんのために働いて生きているんだろう」と泣き、ごはんを美味しく感じなくなり、2ヶ月で5キロ痩せた。

趣味のためには安定が大事、そのためならどんな仕事も頑張れると思っていたけれど、肝心の趣味が侵害されるとわかった途端にどんなに面白い仕事も苦痛でしかなくなった。将来的な安定より、今やりたいことが出来ないことが辛くてたまらない。自分がこんなに欲に忠実な人間だとは知らなかった。今までそこまで我慢しなければならない状況に置かれたことがなかっただけだったのだ。
さらにいつか戻れると思っていた本社が海外企業に買収され、同期たちもいよいよ転職を考えるか…と言い出したタイミングで、Twitterで出会い諸々の相談に乗ってもらっていた男性と交際することになり、3ヶ月経った頃には結婚に向けて準備をしましょうという話になった。本当は働きながら転職活動をしつつ、東京での仕事を決めてから引っ越すつもりだったのだが、自分でも驚くことに一度退職を決意したらそこで働き続けるのがどうしても嫌になり、かつその時期にやっていたSound Horizonのコンサートに全通したいあまり、勢いで仕事を辞めて東京に引っ越した。超のつく安定志向だと思っていた自分が、絶対になりたくなかったニートになった。

定年まで勤めるつもりだった会社は4年で辞めてしまったし、恋愛はしばらくいいやと思っていたのにスピード結婚したし、大好きな大阪を離れる気なんてさらさらなかったのに勢いで東京に来た。短期間に人生を少なからず変える決断をいくつかして、そのすべての結果に満足していることで「人生、計画通りに進めなくても意外とやっていけるのかも?」と思うようになった。

東京で好きなことを仕事にしている友人たちを間近で見て、ふと「1日の半分以上の時間は仕事をしているのだから、好きなことを仕事にできたら人生めちゃくちゃハッピーなのでは」と思った。いや、いろんな本や「好きを仕事にして生きる」みたいな著名人の発言などからその概念は知っていたけど、自分のような何者でもない人間には与えられていない選択肢だと思っていたのだ。
普通は「大きな夢を見てたけど、大人になったら目が覚めた」パターンが主流ではないか。真逆だ。25も過ぎて突然「特別な才能がなくても、好きなことをしてもいいのかも」「もしかしたら私、なんでもできるのかも!」いう気持ちが芽生えてしまった。夫がとても前向きで寛容な人で、「あなたは何でもできるし何にでもなれるよ」「どんな道を目指しても応援するよ」と言い続けてくれたことも大きい。ずっと現実的な手の届く幸せだけを目指していた私にとっては革新的な変化だった。

東京で働きながら1年経ち、以前の転職活動用に作っていたメールアドレスに大好きな国に関わるベンチャー企業からオファーが届いているのを見た時、「20代のうちに、先の見えない道に飛び込んでみてもいいんじゃないか」という気持ちになった。そしてそのまま面談を申し込みトントン拍子に入社を決めた。
今の仕事内容を誰に話しても「天職だね」と言われる。自分でもそう思う。能力的に向いているかとか、大きな成果が残せるかはわからないけど、とにかく毎日好きなことをしているという自覚がある。趣味のための時間確保が何より大事なことに変わりはないけれど、仕事もまた別の趣味の延長のような感覚でいる。
たまに「この会社、10年後も存在しているんだろうか…」みたいな不安には陥る。だって10年前には誕生もしていなかった会社なのだ。それくらい安定とはかけ離れた道。新卒の頃の私なら、楽しそうだと思っても絶対に選んでいないと思う。でも今は「10年後の私が何をしたいかなんてわからないし、とりあえず今はこの会社が10年後も存在するように私が頑張ればいいんだよ」と思える。

「何者にもなれない」という呪いが解けたからといって、自分が今から歴史に名を残すような人物になれるとか、なりたいとかは思っていない。ただこれからも人生の選択肢は無限にあるし、いつだって新しい道を選ぶ自由があるのだと気付けて世界がぐっと広がったのだ。安定の道からは大きく脱輪してしまったけど、そのきっかけをくれた辞令に今では感謝している。

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