日本版キンキーブーツの素晴らしさを一生語り継ぎたい

今年最も楽しみにしていた舞台、キンキーブーツを観た。2016年の日本初演を観て以来、「まだ発表されてないだけで再演するのは知ってるんだからね!!」と言霊で呼び寄せ続けていたキンキーの再演。2回観られて今年の運は使い果たしました。

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私が初めてキンキーを観たのはBWだけど、そのときは感動しつつも、「あの映画をよくもここまでエンタメストーリーに仕上げてきたなあ…ていうか、なんだこの清々しいまでに賞レース狙いな作品は」と驚く方が強かった。キンキーという作品はとにかく全方向に隙がない。脚本演出音楽と最強の布陣を揃えている上に、性的・人種マイノリティ(ローラは基本的に黒人役者が演じている)など近年のトニー賞受けするテーマを盛り込みながら総合的には誰もが共感しやすい「父と息子」に落とし込んでいるところが本当に上手くて、ずるい脚本だなーーと観る度に思う。シンディ・ローパーの曲はどれも観劇後すぐに口ずさめるくらいキャッチーだし、ギラギラのショーシーンとしっとりバラードのバランスが絶妙だし、アルバムとしての完成度が高すぎる。いやずるいでしょ。(ずるいずるい言ってるけどもちろん好きだし、なぜこんなにあざとい…と思ってしまったかというと、2013年のトニー賞では同年に上演開始した「マチルダ」にめちゃくちゃ思い入れがあって応援していたら後から開幕したキンキーが賞を掻っ攫っていったという思い出があるからです。キンキーを観て「なるほど、この作品には勝てないわ!」と唸りながら納得したのでした。)いやとにかく作品パワーが強い。

しかし完成度が高い作品=好みかというと違って、私の中で人生ベスト観劇体験に入るような「好き」ではないと思っていたのに、なぜこんなに日本版キンキーには心を持っていかれているのか。今回の再演を観て、「私は日本のこのカンパニーが作るキンキーが大好きなんだなあ」と再実感しました。初演ですでに完璧なものを観せて貰ったと思っていた日本カンパニーのキンキーブーツが、2年半を経て、さらに進化・成熟していた。2回目だからこその解釈の深みや変化というのを随所に感じました。

三浦春馬演じるローラは強く美しく、そしてとても繊細で、明るく騒いでいてもふとした時の表情や佇まいに哀愁があって、それがローラという役をぐんと奥行きのあるものにしている。初演時から歌ダンス演技と三拍子揃っていたけど、今回はさらに肩の力が抜けたというか、ローラがとてもナチュラルで生身の人間に感じられた。初演時はチャーリーと出会ってから工場にやってくるまでとか、もっとギラギラしてチャーリーを驚かせるような「ドラァグクィーン」を強調した演技をしていたのに、今回は最初からローラはずっと一貫してそのままのローラなんだなという感じがする。歩き方やちょっとした仕草、指先まで「女装する男性」として誇張されたものでなく、常に美を意識していることがわかるローラだった。身体作りもお見事。曲線美とともに、ボクシングシーンでは背筋の陰影に惚れ惚れしました…。

そういえば今回改めて、三浦ローラは異性愛者なのかなーと思ったりもした。パンフレットの演出家インタビューで「ローラのセクシュアリティについては役者の解釈に任せている」と言っていて、ああやっぱり、と思ったのだよね。私が観てきた他のローラは無条件に同性愛者なのかな、と勝手に感じていたけど、三浦ローラはなんとなくそういうセクシュアリティに絡む部分が一切感じられなかったので。ローラ自身が言っていたけど、「女性を崇拝し、憧れる」ことと「男性にモテたい」は全然イコールじゃない。彼女の苦悩の根本は「性的マイノリティであること」ではなく「父親の望む自分になれないこと」であり、だからチャーリーと共鳴できるわけで。ローラにとって自分が一番ときめくものを身につけた素敵な自分=ドラァグってことなんだな、とシンプルに納得できる。不思議。三浦ローラのしなやかで美しいところも弱さも優しさも全てが好きで好きで、幕が下りた後にローラが実在しないことに絶望するくらい彼の演じるローラが好きで、こんな風に感じるのがめちゃくちゃ久しぶりで戸惑う。あの世界の中で生きられるカンパニーの皆さんが羨ましいです。これから二度と見られなかったとしても、一生三浦ローラのことを忘れないと思う。

さて三浦ローラが素晴らしいのはまあ前からわかっていたんだけども、今回一番その変化に驚いたのは小池徹平さんのチャーリー。彼のキャラクターが成熟したことでカンパニー全体がぐっと引き締まったと思う。感情の起伏が自然かつ大胆になっていて、チャーリーがローラを変えた部分、チャーリーとローラが鏡になっていること、がより強く感じられた。初演を観た時はなんとなく、ローラがチャーリーを導いているという印象が強くてローラがチャーリーに何を助けられたのかいまいち理解できていなかったような気がする。チャーリーの父が言う「靴は旅路を守ってくれるが行き先を決めるのは自分自身」という言葉はチャーリーの選択と人生をそのまま表している。彼は故郷を離れて、夢を見つけて帰ってきたわけではないけど、自分の考え方を変えることで居場所と仲間を受け入れた。それは負けでも諦めでもない。

私はキンキーのこういうところ、「夢を叶えよう!」とか「なりたい自分になろう!」みたいなポジティブの押し売りじゃない、「あるがままの他人を受け入れよう」「自分が変われば世界が変わる」っていう、夢や理想なんか持ってない一般人も人生が楽になるようなメッセージが大好きなんだよなあ。そしてそれは「寛容性」が足りない日本で暮らす観客にはより刺さるんじゃないかな、と思っている。

あとあと、再演ではカンパニーの絆を感じた。特にプライス&サンのみんなは終始、大家族感がある。この工場は地元の幼馴染たちでやってるんだよな、社長と従業員だけどチャーリーと近所のおばさん達でもあるんだよなって。そして一人一人のキャラクターがよりくっきり個人として生きているように見えた。

例えば、ドンの存在感の大きさ。私の見方が浅かったのもあると思うけど、これまでドンは前半はヒール役として存在し、考え方を変えて成長した一登場人物、というように捉え方をしていた。けれど今回は、「ドンが全てを変えるきっかけになったのだな」と強く感じたし、ドンが学んだことこそがこの芝居の一番重要なメッセージなんだ、とストレートに響いた。チャーリーが「ドンの教訓は、本当は僕が一番学ばなければならなかったんだ」と言うところ、同じ台詞なのに今年はすごく共感した。そして前回以上に「ドンって憎めない奴なんだよな」と最初から伝わってきている。勝矢さんの演技が良い、というのも勿論なんだけど、それはカンパニー全体の空気感というか、「この人たちはずっと一緒に働いてきた工場の仲間なんだ」と伝わってくる雰囲気が説得力を持たせているのではないかと思う。「女が欲しいもの」でも「青コーナーVS赤コーナー」でも、ローラ側の応援をしている工場員もドンのことを本当に嫌いなわけじゃないんだよね。「ドンって本当にわかってないよね、仕方ない男だわ」みたいな。だからローラも「みんなはドンが負けるところを見たくないはず」と思うわけだし、実際ドンがきっかけに工場員みんながまとまることになるわけで。そうか、ただ勝ちを譲ったわけじゃないんだ、本当に工場全体のことを考えての判断だったんだなと腑に落ちた。
社長として未熟なチャーリーに工場のみんなが付いてきていたのも、みんながみんなローレンのように彼のアイデアに納得していたのではなくて、仕事としての割り切りや、あと義理人情もあったのだろうな。だから限界がきたら離れるし、ああいうきっかけで戻ってきてもくれる。チャーリーがニコラに「ここにいる人たちを守ることが一番大事だろ、家族みたいに育ったじゃないか」と言うところ、本当にスッと入ってきた。

ローレン、ニコラに対しても最初から「この人たちみんな幼馴染なんだな」っていう目で見ていた。チャーリーが工場を継ぐのが嫌だと思っていたのは本当に「父親と違う道を歩みたい」という気持ちからきているもので、それに寄り添って、一緒に都会に出ようと頑張っていたニコラからしてみたら、「反抗期終わったのでロンドンには戻らない。結婚も別にしたかったわけじゃないし」と言われるのは普通に傷付くよね。ニコラって自分勝手なキャラだと思っていたけど、彼女から見たら勝手なのはチャーリーだよね…と思った。そしてローレンとニコラも旧知の友人なんだろうな、と思うとローレンの横恋慕もそんなに重く感じない。(元からコミカルだけど)

ローレンはやっぱりソニンちゃんが最高に遊びながら演じているけど(笑)より役が深くなっている。ローレンは誰よりも早くローラをそのまま受け入れているのだ、とわかるし、お父さんの話をするところとか泣けるし、なんというかチャーリーが自然に好きになるのがわかる思いやり深さとチャーミングさがあるのだ。ソニンちゃんはものすごくBWオリジナルキャストのローレンを踏襲しているというのをいろんなインタビューで語っていて、その中で遊びまくっているところを尊敬している。最近見ていて一番楽しい女優さんの一人だな。

そんな感じに、とにかくローラとチャーリー以外の全員にも感情移入しちゃう舞台になっていたのだった。工場のみんなだけじゃない、エンジェルズも一人一人個性が光ってたなあ。ショー場面での拍手、こちらまで誇らしい気持ちになっちゃったなあ。フィナーレはずっと楽しくて幸せでこの時間が永遠に終わらなければいいのにと思って泣けて仕方なかった。思っていた通り、今は完全にロスです。これからも毎日再々演を信じるよ!と言霊に賭けていくし、おばあちゃんになっても日本版キンキーは素晴らしかったって語り継ぐよ。