夏の帰省

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どこにも行かないんだから予定入れて充実させなきゃ、と焦っていた盆休みの翌週に、大阪(実家)と北海道(義実家)に帰省してきた。1週間の間に大阪、東京、北海道と慌ただしく移動するつもりは無かったのだけど、ちょうど関西出張が入ったもので。

日帰りできる出張にわざわざ帰省をくっつけたのは祖母の顔を見たいからだった。家は思っていたより地震の跡が残っていた。外壁が崩れ、飾り棚に綺麗に飾られていた祖父の遺品のグラスや置物は多くが割れてしまったらしく処分されていた。記憶の中でずっと変わらなかった祖母の家が急に殺風景になってしまったような気がする。

何より祖母がすっかり元気を無くしていたのがショックだった。地震以降すっかり塞いでしまい、日々の買い物ですら母と一緒でないと出歩かなくなってしまったという。
私が生まれる随分前に祖父が亡くなっているので、私の中では祖母はずっと「一人で人生を謳歌している人」だった。定年までフルタイムで働き、友達と旅行や習い事に行き、一人で海外にも会いにきてくれた。飛行機に乗るのも怖い、という人も多い世代なのになかなかめずらしいことだと思う。美意識が高くおしゃれで、「綺麗なものを見ると元気が出るでしょ」と言って毎週都会の百貨店に散歩に出向いているような人だった。そんな祖母が、近所のスーパーにも行けなくなってしまったなんて。

阪神大震災なども経験しているので、地震自体が恐ろしいというより、一気に疲れてしまったのだろうな。「桜花ちゃんに会えたから、もういいわ。人生十分楽しんだわ。」なんて弱気なことを言われて泣きそうになった。
私はめちゃくちゃおばあちゃん子で、母が働いている間はほとんど祖母に育ててもらったようなものだ。祖母の元気の無い姿を見るのが何よりも辛い。会うだけでこんなに喜んで元気が出たと言ってもらえるのに、たった2時間で帰れる場所にいるのに、どうして後回しにしていたんだろう。

義実家は北海道で飲食店を営んでいる。美味しいものを食べたり温泉にたくさん行ったりした話は別途書くとして、今回の帰省の目的の一つは「義両親のガラケーをiphoneに機種変する」ことだった。(義両親は二人で一台のガラケーを共有で使っている。店でも家でも常に一緒にいるので分ける必要はないらしい。ものすごく仲が良くお互いに労わりあう二人を見ていると、こういう夫婦になりたいなと素直に思う。)

義両親と共に電機屋に行き、各社のプランを代わりに聞き、契約書を書いたり前キャリアの違約金まで払っている夫を見て、しみじみ面倒見の良い人だなと思った。iphoneにした後のアカウント設定やLINEの説明などは私も参加した。何度もありがとうね、と言われて自分が少しでも役に立てていることが嬉しかった。

夫は親に楽をさせたい、親が死ぬまでに○○に連れて行ってやりたい、というようなことをよく口にする。年に何度か義両親を東京に呼ぶ際などは、インターネットを使わない二人のために航空券もホテルも夫が手配し、eチケットを印刷して郵送し、当日には空港まで迎えに行きホテルのチェックインまで同行する。
もちろんそこまで頼まれているわけではないのだけど、なかなか帰れない距離にいるのだから会える間に親孝行しないと、と当たり前のように言って実行している。私は「死ぬまでに」なんて考えるのも縁起でもない、まだまだお元気でしょうと思っていたけれど、心底正しい。大事にしたい人が元気なうちに大事にしなくてはいけない。

私も上手くいっていない親族がいるので家族=絶対的に大事にするべき、とは思わないのだけど、短い期間の間に祖母と義両親という自分や夫が生きているだけで無条件に喜んでくれる存在と顔を合わせて、こういう人たちを大事にして幸せにしたいなあ、と感じた。
地元にも帰らず好きなことばっかりやっていて、何も恩返ししていなくてごめん、という罪悪感もあるのだが、母に「あなたが楽しく生きられていることが私の幸せなんだよ」と言われて、自分のやりたいことをやれているのも親孝行のうちの一つなんだよな、引き続き幸せに生きなきゃな…なんて都合の良いことも考えたりもした夏の帰省だった。

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といったブログを下書きに入れていたら、数日後になんと両実家が立て続けに台風、地震の被害に遭った。ほんとにいつ何が起こるかわからないな。
身内、友人は全員無事のようでひとまず安心したけど、まだ電気の戻らない生活をしている友人もいたり、元職場は復旧の目処が立たなかったりで心配は尽きない。
関西、北海道にお住まいのみなさまの生活が早く元通りになりますように。