33平米ワンルームふたりぐらし、日常と非日常

スポンサーリンク

前回のようなおすすめ系記事が軽くバズってしまうと次に書くべきものに迷うのだけど、普通に日記です。ブログってそういうものなので許してください。

33平米ワンルームふたりぐらし

家の更新をした。この状況で新居を探したり引っ越したりする余裕があるはずもなく迷わず決めたものの、私と夫が暮らすのは33平米のワンルームである。改めて契約書面で数字を見て「狭いなあ」と2人で笑ってしまった。

結婚当初、終電までには帰れない夫の職場から徒歩圏であることを条件に新居を探した。立地を最優先に選んだだけあって通勤以外にも便利だし、折半した家賃は意外にも大阪で1人暮らしをしていた頃の額とほぼ変わらない。夫婦ともに不在がちだし、家は寝るための場所だと割り切れば何の不満もなかった。たまに遊びに来た友人達には「こんなに常に相手の顔が見える部屋に住んでいて、よく喧嘩にならないね」と言われたが、その度に「まあ、喧嘩になるほど顔を合わせてないからね」と笑っていた。

以前書いたように私は2月上旬から不定期の、3月下旬からは完全に自宅から出ない在宅勤務をしている。夫の方はわりと選択の自由があり、職場が近いこともあって現在もたまに出勤しているが、夜や週末の予定はごっそりと無くなり、とにかく2人で家にいることが増えた。結婚して6年弱、すれ違い生活を続けていた私たちがこんなに長い時間を一緒に過ごすのは初めてだと思う。

自宅は2人で仕事をするために整えられた環境ではないので、業務上の不便はある。別室がないので同時にテレカンに入るとお互いの声が入ってしまうし、お互いのカメラに映り込まないか気を遣う。集中スイッチが入るタイミングも違うし、やはり会社は仕事をするのに適した空間だったんだなあ、と実感している。もはや「都心の家」の価値も変わりつつあるので、次の家は重視する条件が変わりそうだなとも。だがそれ以外の部分では、喧嘩をしたり衝突は起きていない。普段から仲は良いもののさすがに四六時中一緒にいると何か揉め事が起きたりするかなと心配もしていたのだけど、何もない。むしろ私は夫と暮らしていることで精神の安定を保てていると思うし、ひたすら感謝している。

日常と非日常

自分で自分の機嫌を取れることが己の長所だと思っていた。悲しいこと、辛いことがあった時、その発散方法を正しく把握しているつもりだった。けれどこの状況になって、私のご機嫌取りのバリエーションはほぼ全てが「非日常」であり、かなり外出に拠っていたのだと気付いた。舞台や旅行、オタク趣味の現場など、私の人生は非日常を軸に回っている。出張疲れを癒すために一人旅に出るような人間だったので、「家で何もせずのんびり」する休日なんて3ヶ月に1回もあればいい方だった。やることがあろうがなかろうが関係ない。家にいろと強制されることがストレスで、予定が立てられないことがストレスだった。先の見えない状況はじわじわと精神を蝕んでいて、食べ物を通販したり本を読んだり友達と電話をしたりしても決定的に埋まらない虚無感がある。世界中みんなが同じ状況で、私よりもっと大変な人、仕事や家を失っている人もいるのに、とは思うものの何に対してもやる気が出ない日が結構あって、一人で自宅にいる日は布団から出られなかったり突然涙が出てきたりした。日光にも当たらないし、自律神経がやられていたのかな、とも思う。

私が非日常のために日常を頑張るタイプであるのに対し、夫は日常を愛し、豊かにする才能がある人だ。昔から「非日常にそこまで魅力を感じない」とも言っていて、現実逃避のための物語をあまり必要としない人だった。なぜこんな人がオタクと結婚したんだろう…と不思議に思うことが無いでもなかったが、それぞれが好きなことをして顔を合わせた時に共有する生活が私たちには合っているのだと思う。そして今、自分と同じタイプの人間と暮らしていなくて本当によかった!!と心から思う。私が2人いたら完全にうつ病になって共倒れしている。

夫は料理が得意で、一緒に食事をする時はほぼ夫が作ってくれている。私は1人で自炊をすると大量に作って延々と同じものを食べ続けてしまいがちだけど、夫は冷蔵庫の中身から献立を立て、食材を使いまわしてアレンジをしたり副菜を作ったり、とにかくちゃんとした食生活を送り、それを楽しめる人である。毎日「明日は何が食べたいかねえ」と聞いてくれて、その話題だけでも盛り上がれる。もちろん夫には夫のストレスが多大にあり、弱っている私を気遣ってくれているのだとは思うけど、自宅時間を充実させるためにコーヒーフィルターやフライパンまで新調してきた様子を見て「自分には絶対に思いつかない気分転換方法だ…」と感心した。私はこの状況であってもフィクション小説やお取り寄せスイーツなどの非日常を取り入れて気を紛らわそう、日常から逃避しようと考えてしまいがちで、日常そのもので心を豊かにしようとはなかなか思えないから。

思えば自宅に花を買う習慣を作ってくれたのも夫だった。遠距離で交際していた頃、夫の家に行くといつも違う生花が飾られていて、なんて生活を大事にしている人なんだろうと感動して自分も買うようになった。今も植物が部屋にあることがかなりの癒しになっている。体調が良い日は2人で近所を散歩をしようと誘ってくれる。知っている道を深夜にただ歩くだけで心が落ち着く。自分で作るごはんが美味しいし、お取り寄せもあまり興味がないと言う夫が、お世話になっている美容室の支援のために発売された12回分の回数券(数万円)をぽんと買っていて、かっこいいなと思った。人となりは困難な時にこそ表れるというけれど、この非常事態において夫が私の夫でよかった以外の感想がない。別に今気付いたわけではなく常日頃から思ってはいたけども、日々この家に帰ってきてくれてありがたいなあと拝んでいる。もうお気付きかと思いますがこれは惚気エントリです。

自分の生き甲斐やこれまでに費やしてきたものには変わらず価値があると思うし、愛する非日常なものたちの復活を心から望んでいる。ただ、また日常が戻ってきた暁には、非日常のインターバルとしてではなく、日常そのものも少しは愛せるようになっていればいいなと思う。この長い自粛期間の間に、コツを少しでも夫から学べたらいいなと思いつつ。

f:id:oukakreuz:20200501002846j:image

 

コロナ下の日記

www.oukakreuz.com www.oukakreuz.com