

なんと12年ぶりの再演となる「二都物語」を観てきたので感想。



地味に初めての明治座、こののぼり旗や劇場内の売店文化にわくわくした!客席も思っていたより視界が開けていて観やすかったな。
さて「なんと12年ぶりの」といったものの実は私は初演を観ておらず、原作を子ども向け本で読んだことはある程度で、あらすじは知っているけど…という状態で観劇したつもりだった。のだが、1幕の途中で「なんかこの地味だけどキャラクターの魅力で惹きつける感じ、そして2番手の人の良さ、宝塚に合いそうな演目だな〜てかあれ?なんかこれ見たことある気がする」と思って幕間に検索したらなんと2003年の宝塚版(花組)を観てたわ。観るまで気付けなかった。そんなことある?12年どころか22年前だよ。
と、それくらい自分の中ではぼんやりとした記憶だった二都物語。今回観てもやはり同じフランス革命を題材とした他グランドミュージカルたちと比べると控えめというか、曲もそこまで強烈に残るものがなく、1幕はゆったり進む物語を冗長にも感じた。しかし2幕になると一気に脚本がずっしり響くようになり、途中から嗚咽するほど泣き、観劇後は「人間ってなんて愚かなんだろう…」とひどく落ち込んでしまった。1789でキラキラ青春フランス革命に盛り上がった観客をすげー地獄に落としてくれるじゃないの…。
フランス革命を題材にしたミュージカルはそれはもうたくさんあって、大抵は人がどんどこ死んで涙を誘い、そういった時代に翻弄される人間はだいたいが「処刑される王侯貴族(悪意はなくとも社会構造的に非がないわけではない)」か「理想に殉じる革命家」か「罪もなく死ぬ民衆(弱者)」なわけだけど、今回は主人公シドニーの死ぬ理由がまたちょっと違うというか、革命は重大な要素でありつつもっと個人的で自発的な意思によって選ばれるものであり、その自己犠牲に対して時代云々より根本的な「人は何故…」を考えてしまうのであった。
※再演かつ古典文学なので、ネタバレなどは気にしません。
ざっくりと覚えていたあらすじとしては、「自堕落な生活をしていた男が愛する女のために自分にそっくりな男の身代わりとなって処刑される」だったのだけど、今回見たシドニーは酒好きで生きる目標がないというだけで仕事はちゃんとしているし悪人なわけでもない普通の人だな、と感じた。あと舞台でシドニーとチャールズが瓜二つみたいな設定は消えていたのかな?そういう台詞がなかった気がする。
自分が親になっているからか、子ルーシーとシドニーが出てくる場面は1幕からもれなく泣いた。ベッドで「シドニー・カートンは自分のためには祈らないと思うから」と祈る子ルーシーを見てはっとするシドニー。今回シドニーが庇護者として深く子ルーシーを愛し慈しんでいるのが伝わってきて、シドニーがチャールズの身代わりになることを選んだのは単純に好きな女性のためというだけでなく、本当に「自分1人の犠牲で愛する3人(愛する女性2人+その2人を愛し守れる男性、かな)を幸せにできるならそれを選ぼう」ってことなんだなあと腑に落ちた。納得はできないけども…。これ発覚した後の3人はその後どんな気持ちで生きていけばいいのさ!?
ストーリーだけ冷静に考えると、安全なイギリスから貴族が処刑されまくっているフランスに勢いで帰国したチャールズはお人好しすぎるというか家族のこと考えろよアホ!だし、ルーシーもシドニーの決意に本当に1ミリも気付かなかったのか?助けて助けてって言ってどうにかなると思ってたんか?とか、チャールズの叔父が最悪すぎて革命自体はやはりして良かったよね…とか思ってしまうのですが。。そこはもう芝居の力でボロボロにうちのめされてしまったね。
そう前置きが長くなったのですが、シドニーという役が井上芳雄の本領発揮すぎて。これまで見てきたありとあらゆる芳雄の中でもトップクラスに「これが芳雄で見たかった役だ!!」と思いました。芳雄さんはね、ふつうの人の人間臭さとか揺らぎとかこじらせとか、その中で芽生える善性を演じさせたらピカイチなのですよね。
2幕で自分が身代わりになろうと決意してから憑き物が落ちたような表情になって、コミカルなシーンでも「ああ彼はもうあちら側に足を踏み出している…」と感じて泣けて仕方なかったのだけど。その後に一度、眠っているルーシーに口づけようとして、寝言でチャールズを呼ぶのを聞いてはっと思いとどまる。この流れが素晴らしい。「このまま何もしなければルーシーは自分のものになるかもしれない」って一瞬も考えない、わけがないんだよ。それが普通の人間だよ。そんな普通の人間が揺らぎを捨て腹を決めて穏やかな境地に達して、そのピークが断頭台に立つ直前の数日間を共に過ごしたお針子との時間で…。自身も死を待つあの極限の状態で、怯える彼女のために寄り添い、あなたこそ神の遣いだと力づけた。ある意味エゴのために死を選んだ彼が、死の直前に誰かの魂を救ったというのがすごく尊くて号泣。
あそこ、原作だときっともっと詳細に描かれる数日間なのではと思うのでまた読みたいな。(後ろにいた貴族の母娘も勝手に想像が膨らんで泣けてしかたなかった…。)お針子の存在が二都物語をとてつもなく悲しい話にしているじゃないですか、彼女の何の落ち度もなくただ搾取され殺される人生、「私が死ぬことで共和国の未来にどんな良いことが起きるのか」という台詞。民衆をいたぶっていた貴族の親族であるチャーリーとは違い、同じ民衆側のはずなのに集団の意志で殺される…という事実が重すぎて、うううう人間は愚か…!今も愚か…!!ディケンズは人の心ないんか!?処刑直前まで「スカーレットピンパーネルが助けに来るなら今だ!今だぞ!!」と思っていたが来なかった!えーん!!!
なんかさジャン・バルジャンもシドニーもやってること聖人なんだけど、バルジャンの自己犠牲はちゃんと神に認められている感じがする(主にファンテーヌのお迎えやコゼットたちの感謝によって)けどシドニーの自己犠牲は神に届いていない感じがするんだよね。はーー、シドニーの愛と聖性より人間の愚かさがクリティカルヒットだったよ私は…。
井上芳雄さん以外のキャストもみなさん本当に素晴らしくて、というか主要キャストの大部分が12年前から続投ってすごくない!?
浦井健治さんは出てきた瞬間にキラッキラしていて「えっっウラケンってまだこんなにキラキラ王子様キャラができるの…!?」と慄いた。特に直近で見たウラケンがファンレターの枯れ枯れ作家だったので余計に…。身のこなし、声の出し方すべてが心の綺麗な世間知らず貴族のボンボンそのものであった。
潤花ちゃんのルーシーは歌以外の地のセリフの声や抑揚がすごくよかったな。ルーシーって一歩間違えると「二人の男どっちにも良い顔して…!」とか「カマトトぶりやがって…!」とか思われそうな役だけど、自身が辛い生い立ちをしているのに心が汚れていないかつ地に足ついた女性で素敵だったな。
福井晶一さんのパパ、橋本さとしさんのドファルジュ、岡幸二郎様の侯爵…(それぞれどんだけ豪華な配置なんだ)皆さんぴったりハマっていたし、マダム・ドファルジュの第一声で「歌うっっま!?!?」と思ったら未来優希さんで、そうだったこの人がキーパーソンなんだよねとストーリーを思い出した。ハマコさんとこういう作品の相性の良さよ。皆さん芝居が細やかで湿度が高くて、これは初演の帝劇だと箱が大きすぎるのではないか、明治座がちょうどいい感じでは?という気はした。
なんせ辛かったので、再再演もぜひ観たい!という気持ちになるにはあと数年は必要そうなのですが…今の日本ミュージカル界の超実力派たちの芝居をびしびし浴びて贅沢な時間でした。
キャスト関連過去ブログ
スカピンって本当にあの時代を題材にしていると思えないくらいちゃんとコメディになっていてバランスが良い作品だよな…(助けに来て欲しかった…)