ナショナルシアターライブ「善き人」を見られたので感想です。
ドイツ人教授・ジョンは認知症の母の世話や家事能力に問題のある妻との暮らしに辟易しユダヤ人医師である親友モーリスに相談しながらも「善良で知的な」ドイツ人として暮らしている。しかし安楽死について書いた小説をナチス高官に気に入られたことからナチスに取り込まれていく。
ナチスが台頭しはじめた頃、ジョンははっきりと「ナチスは支持しない」と言い、親友モーリスの不安にも「考えすぎだ、ユダヤ人の排除なんて馬鹿馬鹿しい政策が実現されるはずがない」と取り合おうとしなかった。しかし小説を評価されたことが彼の自尊心をくすぐり、「家族のより良い暮らしのために」「自分のような人間が入党することでナチスの暴走を止められるかもしれない」なんて言いながらナチスに入党し、あっという間に出世してSSにまでなってしまう。若い女生徒アンと不倫関係に陥った罪悪感は徐々に麻痺していき、1人では生活できない妻を捨てる。彼が書いた小説と論文を基に安楽死施設が実現されることになるが、これは患者の自尊心を守る人道的な行為なのだと自分を納得させる。ユダヤ人の親友モーリスを助けることはなく、「迫害はユダヤ人自身が招いたものだ」と言い放つ。自分は任務に従っているだけだ、任務で何をしようが自分の善性は失われない、と目を逸らし続けた先に水晶の夜があり、アウシュビッツへの赴任がある。
舞台のほとんどが主人公ジョンと男性と女性1人ずつの3人劇で進む。やっぱり少人数であらゆる役を演じる舞台の濃密さが好きだなあ。女性の方がジョンの認知症の母・くたびれた妻・若く魅力的な愛人・さらに男性ナチス将校と演じ分けているのがお見事だった。ジョンが妻と会話している時に割り込む母とか、あの違和感のなさがすごい。
巧みな3人劇が最後の最後、ジョンがアウシュビッツに到着した途端に役者が増える。そして舞台を囲っていた壁が取り払われ、それまでジョンの脳内で鳴り響いていた幻想の音楽の代わりに囚人たちによる楽団が現れる。この「これは現実だぞ」と視覚的に突きつけてくる演出、非常に演劇的でよい。ジョンが「なんだ本当に弾いてたのか」としか言っていなくて、その麻痺している感じも。そういえばリーマン・トリロジーも同様にラストだけ役者がぞろぞろと出てくる演出だったな。
全体的に音楽が効果的に使われていて、歌詞まで字幕が出るので状況とはアンバランスな曲が流れたりする意図を読み取れてよかった。ジョンが客席に語りかけたり歌い出したり会話劇ながら緩急がある。
ジョンが認知症の母の世話をしながら安楽死を思いついてしまうことや愛人を選んで妻を捨てることより、焚書に抵抗があるさまだったのが学者だなあとなんともリアルで、しかし「本を焼くこと」を正当化する理論をなんとか編み出した時、あそこが彼の越えてしまった一線なのかなと思う。
彼は最初からべつに善き人ではなく、我が身だいじな普通の市民なんだけど、彼は「凡庸な悪」なんかではなくて、「自己正当化に長けたインテリ」なんですよね。現実からうまく都合の良いところだけを抽出する術に長けていたから出世して、目を逸らせない深部までいってしまった。「自分はなんとなく熱狂に乗せられてる市民とは違う、なんならマイノリティの未来のために敢えて近づいて上手く立ち回ってるだけだから大丈夫」という意識こそ危険で、自分が同じ立場になった時にどこまで違う対応ができるか?と考えてしまう。だって自分の小説を"時の人"が絶賛して直筆で感想をくれたら好きな相手じゃなくてもテンション上がってしまうだろうし、妻に悪いな…と思いながら囲った愛人の存在を批判せずむしろ「素晴らしい女性を選んだ!」と褒めてもらえたら、そりゃあ甘い方にずるずるいくよなあ。
ただやっぱりモーリスへの対応だけがずっと最悪で、本人もそれを自覚しているから彼といる時はぼんやりした自己保身の言い訳しかできないのだろうな。ずっと逃げたいと言っていたモーリスに「考えすぎだ、こんな馬鹿馬鹿しいことが続くわけがないのだから国を出るなんてやめろ」と留まらせたくせに最後には「ユダヤ人のせいだ」とまで言えるようになっている。アンの「私がユダヤ人ならもっと前に国から出ている。今残っているのはよほどバカか財産にしがみついているからだ」という台詞に何も感じないのかな。でもこれは当時の一般市民のマジョリティな意見なのかもしれない。現代でも差別問題に対して「嫌なら出ていけばいいのに留まっている方にも落ち度がある」みたいな意見は散見されるし。
水晶の夜に現れたモーリスは現実だったのだろうか?冷静に考えるほどあの状況でユダヤ人がSSに近付いて話せるはずないと思うし、ジョンが最後の良心と訣別する脳内の会話だった気がしてくる。モーリスの「君は私以上に後悔することになるだろう」という言葉、ジョンはこの先どのタイミングで後悔するのかな…。彼は自分で望んだことではない、仕方がなかったと心から思っているだろうけど、やっぱり全ては彼の選択の積み重ねなんだよな。
観客として胸が苦しくなったのは安楽死施設の視察をしているところと、舞台上でSSの制服に着替えるところ。「あなたが何をすることになってもあなたに責任はない、あなたは善き人だ」とアンに励まされながら人類史上最悪の虐殺に手を染めていく未来が見える演出で、カーテンコールまでの短い時間にちゃんと着替えていたことにほっとした。どういう形であっても、あの衣装のまま拍手を受けるようなことがあってはいけないからね。
面白かった!よかった!と手放しに言えるテーマではないけれど見てよかった作品だし、毎回とんでもなくクオリティの高い演劇体験をさせてくれるNTLiveに感謝!
見ながら思い出した映画
過去のNTL感想
NTLはブログに感想を残すのを忘れがちなので過去見た分もいつかツイートまとめておきたいなあ…(Xが死ぬ前に…)